第6章 殺しの動機は口論と名誉
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1980年9月5日、金曜日
ほとんどの人は、人々が殺し合う状況について、見知らぬ人物による強盗殺人か、家庭内のいざこざを想像する
マイアミの金曜の夜に起こった醜悪でけちなドラマこそが、殺人に至る葛藤の多くを代表するものであり、より頻繁に起こっていること
メディアによって全く報道されないこともある
犯罪学者たちは、このような事件を「口論」に起因する殺人と呼ぶのが好き
1980年のあの金曜日が典型的な金曜日であるとすると、およそ100人のアメリカ人が同僚市民によって殺されていることになる
被害者のほとんどは男性で、そのほとんど全員が男性によって殺されている
ほとんどの被害者は、ほとんどの加害者と同様、とくに大した人物ではない
ほとんど財産がなく、結婚しておらず、教育もあまりなく、しばしば失業している
ほとんどの殺人は、強盗の過程でなされたのではなく、押し問答や侮辱やライバル意識に端を発している
ほとんどの被害者は、加害者と顔見知り
血の繋がりのある者同士はほんの一握り
ささいな口論
フィラデルフィア警察のファイルをもとに、1948年から1952年の間に起こった588件の殺人事件に関する捜査資料と裁判資料を分類
彼の目的は、性、年齢、人種、武器、場所など、およそ警察が記録するすべての事柄についてパターンを見出し、殺人の統計的総括を行うこと
最も頻度が高く、全体の37%に達した動機が、「どちらかというとささいなことに端を発する口論、侮辱、呪い言葉、押し問答など」
ウォルフガングが見出したこのパターンは、その後にアメリカの他の都市で行われたいくつかの研究で確かめられている
「無意味な暴力」が増えてきているというイメージ
イングランドでは、少なくともこの700年間にわたって殺人はほとんど連続的に減少してきており、現代のイギリス人が殺人にあう確率は、13世紀のイギリス人に比べて20分の1にまで減ったにもかかわらず、この何世紀にもわたって人々は暴力が増え続けていると騒いでいる(Beattie, 1974) 現代米を見ると、100万人あたり350件の殺人という1980年のマイアミの殺人は、国中で最高の殺人率かもしれないが、1926年のときの100万人あたり1101件に比べれば、ずっと少ない(Wilbanks, 1984) ささいな口論に端を発する殺人というのも同様に昔からあった
19世紀フィラデルフィアにおける典型的な殺人は、酒場で始まったけんかが路地でその終末を迎えるものである
ことの起こりとされていることがなんであれ、その後に起こった災厄に比べれば、なんとも不釣り合いにみえるのがつねである
アメリカに特有というわけでもない
イスラエルの場合には、血讐(→第10章 殺しへの仕返しと復讐)と、血族の中の貞節でない女性に対する「名誉のための殺し」といったアメリカではほとんど存在しないような動機がかなりの部分を占めている このような文化差にもかかわらず、また現代のイスラエルにおける殺人率はアメリカよりもずっと低いにもかかわらず、イスラエルでもっとも多い殺人動機のカテゴリーは、「個人的な対立、口論」
口論はすべての文化においてもっとも多い殺人動機というわけではなく、そこに変異があるのはなぜかについては、のちの章で可能性を考える
一般的に殺人率が高いところはどこでも、口論が重要な役割を占めており、その結果、世界中の殺人の相当な部分は口論から起こっているに違いなということになる
これが工業化社会以後の現象ではないことは、人類学や歴史学の資料が明白に証明している
13世紀、14世紀のイギリスのオックスフォードは大学町であるが、その殺人率は1926年のマイアミに匹敵するものだった
すべての証拠を考慮すると、ほとんどの殺人はあらかじめ計画されたものではなく、その場で自然発生的に起こったものではないかという、強い印象が残る
意地の悪い言葉、かっとしやすい性質、強い酒というのは、しばしば、致命的な組み合わせであるようだ
地位、評判、暴力的にふるまう能力
1969年、アメリカの17都市を分析した『暴力的犯罪に関する調査団報告』
この研究でも過去の研究でも、口論が主要な動機となっているようだ
殺人の動機を理解しようとせずに、不合理なものとして片付けてしまっている
一見取るに足らないような侮辱は、時間的空間から切り離された、たんなる行動の「刺激」なのではない
それは評判、「顔」、相対的な社会的地位、長期的な人間関係など、もっと大きな社会的コンテキストの中で理解されるべき
ほとんどの社会的環境では、男性の評判の一部は、暴力によるおどしに動じないでいられるかどうかにかかっている
競争者を寄せ付けないようにしないかぎり、自分の権利は、競争者によって侵害されやすい
現代の大衆社会では、合法的な暴力の使用を国家が独占しているので、信頼できる暴力によるおどしの有効性は、うすまってきている
そのような独占がゆるんでいるところでは、そのような信頼できるおどしの有効性は明らかとなるだろう
個人的な剛勇さと政治的同盟を形成する能力とは、ともに、どんな社会においても、個人の成功にとって決定的な役割を果たしている
このことは親族集団が強く維持されているような社会でさえ、当てはまるだろう
ロジャー・レイン(1979)は、19世紀のフィラデルフィアで「お決まりの殺人」の一要素であった酒場での口論を描写しながら、男性が暴力的に振る舞う能力が有効であることを匂わせている 警察がよく機能している社会では、人を殺すのは、地位や名誉を守るという点ではもちろん行き過ぎである
それでも、現代国家でさえ、致死的な暴力を振るうことは、殺人者にとって必ずしも不利益とは限らない
アメリカにおける口論による殺人の最終結果は、だいたいにおいて殺人者側に肯定的だということもあながち考えられないことではない
いずれにせよ、国家以前の多くの社会、いや、ほとんどの社会では、人を殺したことがあるというのは決定的な社会的財産だった
その古典的な例は、首狩りや喧嘩の回数を数えるような風習
このような慣習は、世界中どこでも、戦争をする部族社会にはみられるもの
私がまだ若すぎるので殺しはできないだろうと言った
私は豚を盗むことから始めた
私の心の中で勇敢さがだんだん大きくなっていった
私は男を殺した
私は、戦争に行ってみんなといっしょに闘いたかったが、みんなはまだ私が若すぎると思っていた
私は、非常な怒りを感じた。それでも私は行った
私は、たくさんの人を殺した。
ついに私は、みんなから首領として認められた。私は誰も怖くない
本当に人を殺す気があることを示すことにより、権力の座についた人間は非常に多い
しかし、単なる暴力は、高い地位につくための唯一の方法ではないし、おそらく、主要な方法ですらないだろう
専門的な知識があったり、賢い意思決定ができたりすれば尊敬され、そういう人は、指導者の地位をゆだねられるだろう
そのような地位は有限な資源であり、他人はそれをうらやみ、挑戦してくるかもしれない
そういう挑戦はしばしば個人的なもので、メンツをつぶされずに無視することはむずかしく、そのあげくには地位を失ってしまう
このことは、国家が力の使用を独占するよう、かなり強力な努力をしているような高度に階層的な社会においてさえ当てはまっている
そのような挑戦の古典的な例は、「紳士たち」の間での決闘の伝統
決闘をするような人間は、自己の地位を強化する人としてよりは、自己破滅的な人として描かれることになる
アメリカでもっとも有名な決闘者であった副大統領のアーロン・バーは、年取った政敵のアレクサンダー・ハミルトンに決闘を強いて彼を殺したとき、特権も権力も得ることはなかった(Vail, 1973など) バーは面目を失ったが、このような結果はけっして典型的とはいえない
ある歴史学者(Williams, 1980)が、アメリカ南部における決闘について述べているとおり、「多くの有名人が、決闘における強さのおかげで職業上の成功を得てきた」 たしかに、アンドルー・ジャクソン大統領の場合には、二度の決闘と数度にわたる決闘の挑戦によって、彼の政治的野望が被害を受けることはなかった(Davis, 1977など) いくつかの社会では、すすんで血を流すことは、実質的に名誉と同義語
マフィアの価値観の中で名誉をかけた闘争の重要性を考えれば、人の命を奪うこと、とくに恐ろしい敵を殺すことは、もっとも名誉なこと
マチズモ(男っぽさ)という複雑な理想は、社会科学の文献でしばしば論じられるが、一般的に、「性役割」や文化的習慣という表題のもとに語られる事が多い 解釈の枠組みが意味するところは、こんな理想も、テーブルマナーと同様に、任意のものであると考えられていること
競争者を有効にしりぞけておくことと等価であるような社会的理想に、任意のものなどありえない
オスカー・ルイス(1961)の『サンチェスの子どもたち』の中で、32歳のメキシコシティの住人、マヌエル・サンチェスが、マチズモとはなにかを説明する下り 俺は恐怖を隠し、勇気だけを顔に表すことを学んだ。
なぜなら俺の見たところでは、人にどう扱われるかは、他人にどんな印象を与えるかによるからだ
メキシコ人は、世界中どこでもそうだと思うけれども、われわれが言うところの「玉のついた」奴を称賛する
変異の問題
もしもこのような人間の性向が淘汰によって形成されたのであれば、そのような社会的資源は、適応度という目的達成のための手段 一方で、名誉と地位の間に関連があり、他方で、それらが適応度と関連しているということに不思議はない
豪胆でない男はケプーと呼ばれる
価値のない男、人を殺したことのない男
ケプーの男も他の男と一緒に戦場に行くが、後ろの方に残っている
ケプーの男が、あざ笑われたり、戦場に強制的に引きずり込まれたりすることはない
何人も、自分がそうしたくないのに闘うべきではない
しかし、部族における彼らの地位は戦場での行いによって決められる
強力な友達や家族を持っていない限り、彼らの妻や豚は、どんどん他の男に取られてしまう
抵抗しないだろうと、見透かされている
ケプーで二人以上の妻を持っている者はほとんどなく、多くの者は妻を一人も持っていない
社会的地位の高い男性は、より多くの妻、より多くの妾を持ち、社会的地位の低い男性よりも、他の男性の妻に近づく手立てを持っている
彼らはより多くの子どもを持ち、彼らの子どもたちは生存率が高い
このことは、つねに狩猟採集社会、牧畜社会、粗放農業社会、国家社会のどこでも当てはまっている
一人の男性が同時に複数の女性と配偶する一夫多妻は、人間の社会の大半で合法とみなされている アメリカのモルモン教徒の暮らしについての伝記作者(Young, 1970)が、妻を複数持っている男性が、費用や時間の面でもいざこざが絶えないという面でも払わねばならないコストを列挙したあとで、「一人の妻でも十分ではないだろうか?」と問うている いくつかの一夫多妻社会では、妻は経済的資産だが、他の社会では、経済的負担である
どちらの社会でも、妻たちは例外なく男性間の競争と争いの種
それにもかかわらず、一夫多妻が可能なときには、成功した男たちは、できるかぎり多くの妻を獲得しようとするもの
集落間の戦争が常にあり、多くの、おそらくはほとんどの男性は、他の男性の手にかかって暴力的な死を迎える
シャニオン(1983)のビサシ―テリ村の首領であるカオバワの描写
ヤノマモの間には、政治的な指導力の発揮の仕方に、いくつかの異なるスタイルがある
指導者の中には、おだやかで、静でほとんどのときにはめだたないが、非常に有能な人物もいる
もっと専制的、暴君的で、押しが強く、派手で、周囲の者みんなが不愉快に思っている指導者もいる
カオバワは、そのスペクトラムの中で、もっともおだやかで静ながら有能なところに位置する
彼はこれまでに、6人の妻を持っている
それ以外にも多くの女性と一時的な関係を持っており、その中の1回は、子どもが産まれる結果に終わった
その子は、公然と彼の子であると認められている
カオバワのような「おだやかな」男が、なえ首領として認められているのだろう
一つには血縁者の結束、一つには政治的な手腕により賢いとみなされていることも、個人的に勇敢だと目されていることも寄与している(Chagnon, 1983) 彼はこの年になったからこんな方法でやっていけるのだ
彼は、若い時、状況が必要とするならば強力な力に訴えることも辞さないという評判を築き上げたので、皆は彼を尊敬している
彼はまた、衆楽の中に人の兄弟または半分血のつながった兄弟を持っており、彼らはいつも信頼できる味方である
ヤノマモの首領の地位を得た男で、危険を回避することはできない
カオバワの最もやりたくない仕事の一つは、略奪者がやってきたしるしがみつかったときに、近隣の村から人をスカウトすること
彼はこれを一人で行う。なぜなら、これは危険な仕事であり、他の男は避けようと思えばできることだから
妻をたくさん得ようとする傾向は、明らかに適応度に貢献している。カオバワのような首領は平均的な男性よりも多くの子を残すし、中には、ずっと多くの子を残す男性もいる(Chagnon, 1983) シャマタリ集団の中には、数世代さかのぼると、ことさらに多くの子孫を残したシンボーンという名の男性がいる
シンボーンは11人の妻を持ち43人の子を持ったが、彼らは十分に長生きしているので、人々は彼らのことをよく覚えている
最後の調査では、シンボーンの20人の息子たちは120人の孫を生産し、彼の23人の娘たちは111人の孫を生産していた
彼のひ孫は480人にのぼり、さらに増え続けていた
シンボーンのような人物の高い繁殖成功度は、彼のライバルの多くがまったく繁殖できないことによって成り立っている
同性がほぼ同数存在するのならば、およそ10人の男性はまったく妻が得られないことになる
シンボーンのような人物が大量の資産を生産する陰には、だれの祖先にもなれない男性が大量に存在する
もしも、社会的地位がつねに繁殖成功に寄与しており、社会的地位には、暴力をどのようにコントロールするかの能力がつねに寄与していたのだとすれば、暴力のスキルが淘汰上有利であったことは、否めないだろう
男性は何を欲しているのか?
彼は、わけもなく恐怖を振りまくことを社会的誇示としていたことで有名
敬虔なイスラム教徒だったので、妻は4人しか持っていなかったが、妾の数については何も制限を置いていなかった
フランス人外交官のブズノーの記録
皇帝は常時500人のハーレムを囲っており、それぞれが個室に住まわされて、それぞれの宦官と女奴隷をあてがわれていた
ムーレイ・イスマイルの第一夫人であるゼルダーナが、夫のためにハーレムを非常に厳しく管理していた
30歳になると、妾は、どこか地方の身分の低い連中のハーレムへと船で移送され、その地位はもっと若い娘にとってかわられる
アジア、中東、サハラ以南のアフリカ、新世界と、階層社会には巨大なハーレムが存在した
そのようなハーレムはどこでも、普通は宦官によって守られていたということは、権力者の欲している者がなんであるかを如実に物語っている
自分だけが性的接近を果たすということが、つねに、女性を蓄積することのできた権力者の男性の、第一の目的だった
1000人にも及ぶ女性がかこわれていた王室のハーレムでさえ、それは繁殖資源として管理されていたし、中国の皇帝のハーレムは「妾たちの月経周期にそって、それぞれ適切な時期に性交が行われるように注意深く管理され、女性の管理者がごまかしや間違いのないように見張っている。それは、よく組織された官僚制度があると何ができるかをよく表している」(Dickemann, 1979a) インドの君主に関しては(Dickemann, 1979a)、「20世紀初頭の観察者によると、ハイデラバードのニザムには八日間に4人の赤ん坊が生まれ、次の週にはあと9人が産まれるということだった」 ローラ・ベツィグ(1982, 1985)は、同じように管理されて守られていたハーレムのいくつかについてまとめ、世界のどこでも、専制的な権力が破格の一夫多妻と結びついていることを示した 植民地支配前のアフリカでは、アシャンティ、アザンデ、バガンダ、ズールーなどの王は、みな、何千人という女性をかこっていたといわれているが、それは、インド、中国、イスラム社会における最大のハーレムと同じもの
皇帝のハーレムや、それを許す専制政治などは、人類の歴史では比較的最近になって生じた異例のもの
個人の力を制限する要因が外れたとき、男性の欲望が肥大化した、その見事な現れ
それは、自然淘汰の歴史に裏打ちされた、男性心理が持つファンタスティックな野望
そのような一夫多妻の男性が一人いるごとに、何人かの男性が独身生活を強いられることになり、男性は、単に高い社会的地位の獲得をめぐって競争するばかりでなく、もっとも低い地位に落ちないようにするために競争する
実際、階段の一番下に近いところほど、競争が激しいこともある
すっかりだめになってしまうかもしれない男性は、もっとも危険な競争的戦略をとっても失うものがないので、用心深さなどかなぐり捨ててしまうかもしれないからだ
男性の心理が形成されたのは、そのような社会的環境においてであり、男性心理は、社会的地位の比較にこだわり、なにかを達成して獲得せねば気がすまず、女性の繁殖能力をコントロールする力がほしいと渇望する